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★ ロープにぐったりと体を預けたまま動けない。
頭がぼーっとしてきて目の前にチカチカと星が飛ぶ。
これはとんでもないことを始めてしまったのかも知れないと思ったとき、再びゴングが「カーン」と鳴った。
ムエタイコーチたちの眼光が違うと感じていた。
前回は体験コースだが、今回からムエタイの正式なトレーニング。エアロビやボクササイズのようなフィットネスとはおよそほど遠い格闘の場なのだ。
「ほら、来いっ!」
と膝に手を置いてかろうじて立っているオイラに防具を向ける。
くっそー、負けるかと思いファイティングポーズを取ると
「ハイ、ワンツー、キック!」
「ハイ、ワンツー、膝蹴り!」
攻撃の後すぐに防御の姿勢に戻らないと容赦なくコーチの手や足が飛んでくる。
「ハイ、ワンツー、肘打ち!」
「ハイ、ワンツー、キック!」
永遠に思える時間の後に再び休みのゴングが鳴る。
自分でボクシングやムエタイをテレビ観戦している時は、なんであんなにすぐにクリンチ(お互いに抱き合うこと)ばかりでもっと打ち合わないんだっ!とイラついていたけど、ごめんなさい。
もう土下座して謝ります。3分間打ち合う、蹴り合うなんてのは人間業ではありません。
オイラはなんだか気分が悪くなってきてコーチに「ちょっと」とタイムを申し出るとリングロープをくぐってトイレに行った。
ここで胃液が出るまで吐いたりすると駆け出しの堀口元気としては大変格好いいのだが、出たのはウンコだった。
こんな漢の修羅場を体験している時に、お前はなんたるウンコ野郎なんだと自分にワンツーパンチしながらコーチの待つリングに戻り、再び
「ハイ、ワンツー、キック!」
「ハイ、ワンツー、膝蹴り!」
を繰り返した。
リングでのトレーニングが終わると今度はシャドー(鏡を見ながらのムエタイ)やサンドバッグ。
コーチの持つサンドバッグめがけてパンチ、回し蹴り、膝蹴り、肘打ちを繰り返す。
オイラのコーチはフォームに厳しいので間違っているとすぐに手や足で払われる。怖い。
2時間ほどのトレーニングを終えるとコーチがバンデージを解いてくれる。
この時、本当に終わったんだーとホッとする。
帰りがけにヒロとユキと居酒屋に入ったが、オイラはあんまり口に入らなかった。
帰宅してかみさんにほんとにキツかったぜと話した。
「あんまり無理して倒れたりしないでよ、マジで」
「白いマットの上で死ねれば堀口元気としては本望だ」
オイラがそう鼻を膨らませるとかみさんが言った。
「それじゃ、次のムエタイまでに遺言書ちゃんと書いておいて」
立つんだ! チャンプ! トイレに行ってる場合じゃない!
>もとママ<br>え〜、でもチャンプおなかが弱いんで・・・