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2019年03月02日(Sat) ドライヤーと無縁になって久しい

昨日はマレーシアから出張してきている日系家電クライアントとバンコク郊外の展示会場で開かれている家電フェアを視察。

お目当てはウチがやっているナノテクドライヤーのキャンペーンイベント。

試してみる女性客たちがドライヤーを当てた髪を当ててない部分と比較して

「わー、全然違うー」

と驚くのが羨ましい。

オイラも試してみたい。

けど、オイラが試しても頭皮がカピカピに乾くだけだ。

今日、土曜日はもう一度会場を視察して、午後そのままKLに向かう。

明朝はKLソフトボール第5回戦だ。


2019年03月04日(Mon) アリス・アムター

1990年の後半から1991年の2月末、マレーシアに着任するまでオイラは英語の家庭教師についていた。

名前はアリス・アムター。20代の英国人女性だった。

元会社の海外担当取締役に

「英語ができます!」

と嘘をついて海外転勤を勝ち取り、マレーシア・シンガポール赴任が確定したものの、残りの数ヶ月で英会話を習得しなければいけない泥縄だった。

その時に紹介してもらったのが彼女。

ネイティブな英語をマスターするためは自宅でテキスト練習をしてたんではダメだ、という彼女の方針で外で飯を食ったり飲んだりしながら会話をした。

彼女にしてみれば、普通に遊びながら教えられる方が楽だったのだろう。

そのアリス・アムターの夢は、ハリウッドスターになることだった。

「私は、英国が大嫌い。とっても暗いの。私はこれからロスアンジェルスに渡って、ハリウッドでダンサーや女優を目指すの。私には絶対その才能があるの」

と会うたびに彼女はオイラに話した。

オイラは頑張ってねと言いながら、(そんなの無理でしょ)と心の中で思っていた。

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先週、ノリさんとバンコクからKLに向かう途中そんな話になり、今どうしているのかなーと懐かしくなり、

「Alice Amter」

でググってみた。

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ハリウッド女優になっていた。

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娘に話すと、彼女が出ている

「The Big Bang Theory」

は大好きなドラマだと言う。

ウィキペディアを読んでみると、

「She has lived in France, Germany, Japan (where she taught English in the early 1990s), and the United States. She moved to Los Angeles, California in the early 1990s.」

オイラに英会話を教えた後で、ロスアンジェルスに飛んでた。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

もとママ [ 知り合いにJunさんと同じ事やっちゃった人います。同様に泥縄でやっつけ英語でジュネーブに配属。ところが彼の地ではフ..]

Jun [>もとママ 結局アリス・アムターの数ヶ月では全く英会話ができるようにならなかった。マレーシアに着任してからの半年間は..]


2019年03月05日(Tue) インニョン

今日から1泊でシンガポール出張。

マレーシアからは50分のフライトなので、雲上に抜けてシートベルサインが消えたかと思うと、すぐにまた着陸に向けたシートベルトサインが点灯する。

午後に営業パートナー会社の担当者とスタバで打ち合わせをしてから、昼飯を食っていないことを思い出し、近くの中華レストランに入った。

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あ、そうだ、シンガポールで「インニョン」を食べてみよう。

インニョンは「ミックスする」という意味で、マレーシアでは定番の広東風クイッテアオとミーフンのミックス。

オイラの超大好物だ。

「インニョンある?」

「あるよ、よく知ってるね」

と日本人がこんな注文するのを珍しがって笑った。

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そして出てきたのが、これだった。

おかみさんに、これがインニョンか?と確認すると、これがインニョンだ!と力強く頷いた。

なんで、ホットコーヒーがインニョンなんだ。

オイラはシンガポールでは通じなかったとガッカリしてそのコーヒーを飲んだ。

「コーヒーと中国茶のミックス」

だった。

マレーシアでミーのミックスをインニョンと言い、シンガポールではコーヒーと中国茶のミックスをインニョンというのだ。

そりゃ、よく日本人がこんな飲み物知ってるな、と思うよ。

お味は、面白い。

最初は明らかにコーヒーなのだが、後味が中国茶。

そんな不思議な飲み物で、ちょっとハマりそうだ。

本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]

駐在君 [インニョンは香港でyin yeung(yang)で通じます。語源は中国の太極図にある陰と陽(Yin & Yang)で..]

まさ [マレーシアでも、コーヒーと紅茶のミックスをインニョンって言わない?]

Jun [>駐在君 なるほど、陰と陽なんだね。あの丸の中に黒と白の勾玉は、まさにクイテアオとミーフンだよね。 >まさ でもコ..]

駐在君 [マレーシアでもcoffee+teaをインニョンって言う人も居ますよ。でもどちらかと言うと福建語源のチャム(kopi ..]

Jun [>駐在君 コピチャムも知らなかったわー。詳しいなぁ、駐在君。]


2019年03月07日(Thu) リベンジ

昨夜シンガポールからKLに戻る。

今日はマレーシアスタッフとランチで「インニョン」をオーダー。

そうそう、この平たいモチモチ麺のクイテアオと揚げた細麺ミーフンこそがインニョンなのよ。

このモチモチパリパリが少しずつ広東風のグレイビーを吸って渾然一体となっていくドラマが素晴らしいのよ。

やっぱり飯はマレーシアだよねぇ。

そう言えば、バンコクのソフトボールチームのおぼんこぼん(漫才コンビは仲悪いけど、うちのチームは仲いいよ)にマレーシアからタイに転勤になったメンバーが3人ほどいるんだけど、その3人で飲みながら定番の

「タイとマレーシアどっちが好きか」

の話になったらしい。

そして3人とも

「絶対マレーシア」

で意気投合したらしい。

オイラもカミさんもこの二択はどちらもそれぞれいい、と思っているんだけど、巷ではだいたい7対3くらいでマレーシアを推す人の方が多いね。

シンガポールはねぇ、綺麗で先進的で(チャンギ空港は惚れ惚れするね)いいんだけど、なんかちょっと住むには緊張するね。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

kaobal [タイとマレーシア、英語が通じるかどうかが決め手。 英語もタイ語も両方できる人なら7:3でマレーシアにならないのじゃな..]

Jun [>kaobal シンガポールは3日で飽きるねぇ。。マレーシア飯を食べつけてしまうとシンガポール飯はいまひとつだしねぇ..]


2019年03月09日(Sat) バンコクの夏祭り?

昨日の夕方のフライトでKLからバンコクへ戻ってきた。

空港から家族へ連絡すると、ウチのコンドの隣の公園でフェスやっていてそこにみんなで来ていると言う。

オイラも公園の前でタクシーを降りてそこに合流した。

 

あのいつもの小さな公園が?

これは楽しそうではないか。

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ライブやピエロも出て賑やかだ。

 

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出ている露店が昔とずいぶん様変わりしてきた。

タイ料理一色ではなく、各国料理やイカ焼き、たこ焼き、寿司、様々なお洒落スイーツなどバラエティ豊富で楽しい。

 

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今晩もまた行こう!屋台食べきれてないから。

これ、毎週やってくれたらいいのになー。


2019年03月10日(Sun) 寝たきりの始まり

母親が心臓と腎臓の病気で自宅療養をしている最中、昨日父親が外出中に転倒して大腿骨を骨折して入院した。

頭も打ったのでCTスキャンも実施した。

両方とも88歳だが、父親は

「大丈夫だ、自分でできる!」

と頑固で母親介護で同居している弟の言うことを聴かない。

天候の悪い日は外を出歩かないように言われていたのに出歩いて、突風に吹かれて頭から転倒した。

病院では、看護士さんの言うことを聴いて起き上がったりしないよう弟から言われていたのに、ベッドから立ち上がろうとしてベッドから転落し、また頭を打って緊急CT検査室に運ばれた。

老人は

「大丈夫だ、自分でできる」

と主張して行動し、大丈夫じゃなくて大ごとになり、周りに迷惑をかける。

家族の言うことを聴いて大人しくしておこう、と思わない。

そして寝たきりになる。

人というのは、きっともう何千年も同じことを繰り返してきて、いまだに学ぶことができない。

どうしてそんなに愚かなのだろう。

オイラもあと30年経つというのだろうか。

「大丈夫だ、自分でできる!」

と。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

もとママ [ その気概がなくなった時、人は人でなくなってしまうのですよ。]

Jun [>もとママ 今、連絡があって手術は大成功だったようだよ。痛みの様子を見て明日からリハビリの先生と立ち上がる練習をする..]


2019年03月11日(Mon) 最下位

昨日タイの陸軍運動場で開催された7チームによるソフトボール大会。

わが、おぼんこぼんは1勝2敗でなんと最下位という残念な結果に終わった。

帰りのワゴンの中では疲れもあって誰も口を聞かなかったよ。

なんか弱い新参チームという固定観念からか、前回大会では3位だったにも関わらず

また最下位だったおぼんこぼんさんには『頑張ったで賞』が授与されます」

と大会幹事からアナウンスされ悔しい思いをした。

次の大会では、必ず雪辱を果たす!


2019年03月12日(Tue) 手術

昨日武蔵野赤十字病院で大腿骨骨折の2時間にわたる手術があり、大成功だったと弟からメッセージが入った。

そのお陰で痛みの様子を見ながら翌日の今日にはリハビリ専門の先生がベッドサイドで立ち上がる練習を始める。

とにかくリハビリは一刻も早く始めるのが大事なんだそうだが手術の翌日からって最近の医療はすごいね。

これで骨折前のヨチヨチ歩きだった親父がリハビリで頑張って少ししっかりと歩けるようになるといいんだけど。

でも、そうなるとまた外を歩き回って転倒のリスクが増すか。

悩ましいな。

さて、これから朝フライトでKLへ。

短期間での行ったり来たりはほんとに疲れるけど、親父も頑張るだろうから60歳の息子もまだまだ頑張んねーとな。


2019年03月13日(Wed) みんな元気になりますように

親父は赤十字病院のリハビリで手摺につかまりながらスクワットを何セットもやっているらしい。

やりながら

「俺が倒れたのは突風が吹いたからで俺のせいじゃない」

と早くも出歩くための正当性を主張し始めているらしい。

手術をした赤十字病院は救急病院なので、この後療養病院に転院してリハビリを続けて行くことになる。

出歩く前にしっかり歩けるようになって欲しい。

バンコクの方は、玄貴の体調が安定しない。

大気汚染もあるのだろうが、ちょっと長くプールで泳いだりすると喉がゼロゼロしてしまい、病院に連れて行くことになる。

彼にとってはネブライザ治療をする光景が当たり前になってしまってかわいそうだけど。


2019年03月14日(Thu) アジア展開

今日の午後、日系家電メーカーアジア統括会社へのプレゼンを終えたらそのまま空港、バンコクへ戻る。

プレゼンの内容は、オイラの会社が提案してタイ支社で試験的に実施して成果が出た企画案をこれからアジア各国展開しましょうよ!という野心的な提案だ。

当面の対象国は、マレーシア、ベトナム、インドネシア、カンボジア、フィリピン。

マレーシアは当然ながら、ベトナム、インドネシアも現地パートナーがいて現在も仕事はしているのだけど、カンボジア、フィリピンは現地パートナーをこれから探さないといけない。

仮に提案が通って

「じゃあ、やってみましょう」

となってから初めて現地出張して、パートナー探して仕事を振るのだから大変な泥縄作業なんだけど、これがオイラのやり方だから仕方がない。

ところで今日のプレゼンは開始時間が午後1時。

タイやマレーシアで仕事をしていると、滅多に打ち合わせがこの時間に開始されることはないが、さすが日系企業の日本人相手だと

「午後イチ」

は午後1時になる。

タイやマレーシアだと、朝イチは午前10時くらい、午後イチは午後2時くらいを意味する。

日本式の

「午後イチ=午後1時」

だと、移動の時間を含めてランチを抜かなくてはならないが、

アジア式

「午後イチ=午後2時くらい」

だと、ゆっくりランチをして屁もこける時間があるので、こちらの方が健康にはいいんだと思う。


2019年03月15日(Fri) ドンキホーテ

バンコクにとうとうドンキがやって来た。

開店2週間ほどは客が殺到して店内で買い物ができないほどだったらしいが、少し落ち着いて来たようだ。

店内は日本の食品、生鮮食品、お惣菜、お弁当のフロアと雑貨やトイレタリーのフロア。コスプレ商品コーナーなんてのもドンキらしい。

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日本人在住者の声を聴くと、

「一時帰国の時に買って来ていたものが全部揃うようになった」

という歓迎コメントが多いが、中には

「これで一時帰国の楽しみがなくなった」

という寂しげなものもあった。

たぶん、バンコクはもはや日本の地方よりもすでに日本なのかも知れない。


2019年03月16日(Sat) 個人メドレー

昨日は結婚記念日だったので、孫の世話からカミさんを解放して晩飯を食いに行った。

 

当然のことながら飲んだ後もしっかりデザートをキメてしまったので、体重は生涯最大を超えているはずだ。

今朝は朝から雷雨だったけれど、冷たい雨の中で泳いでカロリー消費した。

水泳競技の中でも最も過酷な個人メドレーで。


2019年03月18日(Mon) 緊急帰国

一昨年から腎臓と心臓が弱って入退院を繰り返しながら療養している母親だが、親父の転倒骨折入院を心配してか容態が悪化してしまい、先ほど

「親父の入院している救急病院へ連れて行く」

と弟から連絡があった。

出がけに弟がビデオ通話を繋いでくれて、母親と話をしたがハアハアと息も荒く、耳も遠いのでほとんど会話にならなかった。

弟が全部一人で切り盛りしてくれていて感謝しかないが、オイラも明後日から一時帰国することにした。

もう二人とも90歳に届く年齢なのでいろいろと仕方のないことなんだけど、少しは力にならなきゃ、と思う。

そう言えば、今年はまた桜の開花が早いとか。

たまたまこの時期に帰国することがなかったからか、もうずいぶん長いこと桜をこの目で見ていない。

手当てを受けて回復した父親と母親と病院の窓から桜の花が拝めるだろうか。


2019年03月19日(Tue) もう一山

「明後日兄が帰国するんですが、それまで大丈夫でしょうか?」

と赤十字病院の担当医に弟が尋ねると

「それは大丈夫だと思いますが、今回は大変厳しい状況です」

と答えたと言う。

顔を見てしっかり元気付けてやらないと。

そんな時に親父は同じ病院の違う病棟で骨折入院しているわけで。

お互いに心配で会いたいだろうけど、そんな事情で会えないのはなんとも哀しいね。

明日の東京の気温を見たら最高気温20度。

小春日和だね。


2019年03月20日(Wed) 帰国

これから羽田に向かいます。

昨日、ケージから「小春日和は秋ですよ」と教えてもらいました。

そう言えば春じゃないと習った記憶がありました。

考えてみれば今日実家に戻っても両親はいないし、どうせなら久しぶりに西荻をぶらぶらして新しいお店を開拓しようと思います。


2019年03月21日(Thu) 見舞い

今日は一日中、武蔵野赤十字病院のオフクロの横で座ってる。

スマホ見飽きてバッグの中に入れてもしばらくすると他に何もすることもないのでまたスマホを引っ張り出す、の繰り返しで約9時間を過ごす。

オフクロはちょっと苦しげで寝返りを打つが、前回みたいにおしゃべりをする力はないようだ。

1階上に親父の病室がある。

外科的治療ということで、オイラも弟も一日中オフクロに付き、親父の横には付かない。

息子というのはいつまで経ってもやっぱりオフクロなのだ。

誰も見舞いに来ないのは沽券にかかわるとばかり、看護士に電話室まで連れて行ってもらっては小銭で昔の友達に電話を掛け、見舞いをねだる。

とりあえず、足腰の元気な80代の友達が、2人ほど見舞いに来て満足したらしい。


2019年03月23日(Sat) 生きたい

おふくろは麻酔を少し注入し始めたので今日は1日中、体を動かすことも話すこともできなかった。

昨日は看護師に

「死なないためにはどうしたらいいでしょうか?」

と聞いたらしい。看護師は

「よく眠ってよく食べることですよ」

と励ましてくれた。

体は弱っているけれど、生への執着はまだしっかりある。

私は生きたい、と思っている。

今日は看護師が

「近親者の方でお会いになりたい方がいらっしゃったら呼んであげてください」

と伝えてきたが、母は簡単には諦めない人だからもう少し頑張るんじゃないかなと思う。


2019年03月24日(Sun) 仕事かよ

今日のおふくろは容態がさらに悪化しているようで呼吸も浅くなってきた。

看護士が

「今晩は泊まって付き添いますか?」

と訊いてきたから(今晩ということもありますよ)、ということなんだろう。

ときどき手を握ってあげても握り返してくることもなくなった。

オイラはおふくろの横でPCを開いて納期の迫った報告書仕事。

こんな時にこんなところで仕事しなきゃいけないなんて、ほんとにタコ社長はどうしようもない。

でもやらなきゃ。


2019年03月25日(Mon) いろいろあるけど。

昨日の帰りがけに担当の看護士さんから

「今晩、私がお見送りすることになると思います」

とハッキリ告げられた。

15分で駆けつけるから深夜でも電話をもらうように約束してオイラと弟は看護士さんに任せて帰宅した。

我々もちゃんと休まないといけない。

結局昨夜は電話は鳴らず、朝病院に行くとおふくろはまだ生きて呼吸をしていた。

「頑張るね」

そんな話を弟としていたら我孫子にあるカミさんの実家が泥棒に入られたと連絡があった。

警官や調査員が6人ほどやってきていると言う。

ちょっといろいろあるなー、山森家。


2019年03月26日(Tue) とんぼ返り

「今晩だと思います」

と告げられながら毎日毎日朝を迎えるのは精神的にも肉体的にもしんどい。

弟も枕元に置いたケータイがいつ鳴るかとなかなか眠ることができない日が続いている。

おふくろは意識のないところで1日でも長く生きようと頑張っているのだけど、苦しむのなら安らかにしてあげたいという気持ちもある。

今日は、どうしてもバンコクに戻らないといけない用件があり、朝一で羽田空港へ。

搭乗時間少し前にアラームをセットして休んでいたら、

「JL31にご搭乗の山森様、山森淳様、至急145番搭乗ゲートまでお越しください」

とアナウンスが流れた。

え、なんで?

弟がオイラを探して空港にアナウンスを頼んだのだろうか?

ということはいよいよ息を引き取ったか。

といろいろ考えながら145番ゲートに行くとすでに搭乗時間が過ぎていてファイナルコールの呼び出しだった。

搭乗時刻だとセットした時間が出発時刻で、出発時刻までもうあと10分だった。

あー、なんかいろいろ集中力が切れていてヤバい。

泥棒が入って警察が駆けつけたカミさんの実家は、実は義姉の早とちりで泥棒なんか入ってなかった。

義姉は警官たちに土下座して詫びたらしい。

先ほど、スワンナプーム空港に到着し、空港内のスタバで会社のスタッフと打合せを終えると、またイミグレを通過する。

空港を出ることなく、今晩の深夜便でまた日本に戻るのだ。

急な手配で直行便はなく、関空ー伊丹ー羽田という考えただけでも疲れる旅程だ。

この便は搭乗時刻を間違えないようにちゃんと乗り継いで帰国しよう。


2019年03月28日(Thu) 緊張

早朝5時、オイラが寝ている部屋がノックされた。

すぐに目を覚まして緊張する。

弟がドアを開けると、

「今、病院から電話で脈拍数が30ほど減って呼吸も弱くなったと連絡があった」

というのですぐに洗面着替えをして病院に向かった。

昨日はまだほとんど咲いていなかった武蔵境周辺の桜が一斉に開いていて、どの道も桜のトンネルを作っていた。

「ずいぶん桜が開いたね〜」

こんな時の会話は意外に普通の世間話になるんだな、と思った。

ありがたいことに朝5時半でもそれほど寒くない。

エレベーターで病室のある3階へ上がると、そこは薄暗く押し潰されそうな静寂。

灯の漏れてくるナースステーションまでの廊下がこれほど長かったことを今まで気づかなかった。

病室のベッドに横たわるおふくろは静かな寝息を立てていた。

首が弱々しく脈打っている。

こんなスレスレのところで安定している。

「今朝採血検査をしましたが、全ての数値が普通の人であればすでに亡くなっている状態です。本当に生命力に驚いています。呼吸もお顔も今日はとても安らかですね。心臓が先か、呼吸が先か、ちょっとわかりませんが、今日だと思います」

主治医が病室に来て静かに説明をしてくれた。

きっとおふくろは今の話を聞いていて

「今日?そうはさせてなるものか」

と思っているに違いない。


2019年03月29日(Fri) 永眠

今朝、おふくろは静かに安らかに眠ったまま息を引き取った。

30年近くも海外で暮らしていて顔を見る機会は少なかったけど最後にしばらく一緒に過ごす時間を持ててよかった。

別の病院に入院中の親父に電話で伝えるとがっくり来たような細い声をあげた。

お世話になった医師や看護士の皆さんに送られて葬儀社がおふくろを自宅に安置すると今度は親父の病院へ行き、外出許可をもらって自宅のおふくろとお別れをさせた。

我々兄弟に支えられておふくろの枕元に座った親父が弱々しい声で

「なんでこんなところにいるのよ〜、目を開けてくれ」

と繰り返し、繰り返し語りかけているのを聴いていたら、不意に涙がこぼれてきた。

医者が

「私は自分の医師人生でこんな経験がありません」

と言うほどの生命力でほんとによく頑張ったね。

そして心からありがとう。

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もとママ [ お疲れ様でした。お悔み申し上げます。]

Jun [>もとママ ありがとうございます。来週からまたバンコク、KLで張り切っていきます!]


2019年03月31日(Sun) あの日の風と桜

毎日朝昼晩の減塩メニューを自分で考え、自分で料理しておふくろを介護していた弟が、

「夜中に枕元にケータイを置かなくてもよくなったんだ」

「明日からご飯作らなくていいんだ」

と緊張と重労働から解放された脱力顔でため息をついた。

正直ちょっとホッとした気持ちもあるんだ、と弟は言った。

それでも

「あの風が吹かなかったら」

と悔しそうな表情も見せる。

父親が外出先で突風に吹かれて転倒し、大腿骨骨折で緊急入院したその夜からおふくろは心配で食事が喉を通らなくなってしまった。

普通に生活していたと思ったが、微妙なバランスの上を綱渡りしていたわけで、それが脱水症状を引き起こし、翌日には一気に容態が悪化、そのまま帰らぬ人となったわけで、「あの風」を恨みたくなる気持ちもある。

でも、それは仕方のないことで受け入れるしかないのだ。

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葬儀の手配を済ませてしまうと、翌日は確かにルーティンがなくそれぞれ自由に過ごすことにした。

オイラは吉祥寺への買い物がてら井之頭公園に寄ってみた。

もう何十年ぶりかの桜だ。

 

曇天で肌寒い気候だったが、それでも井之頭公園は花見客で賑わっていた。

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YUKIKO [心よりお悔み申し上げます。弟さんの介護本当にお疲れ様でした。せめて満開の桜を堪能して下さい。]

Jun [>YUKIKO ありがとう。カミさんも帰国してきたので、火葬場の後で井之頭公園に寄り、公園入り口の焼き鳥老舗いせやで..]