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2012年07月02日(Mon) 最初はどうしてもインニョンで。

今日は午前中オフィスで営業メンバーと打ち合わせをしてからそのままKLに出張。

スタッフはみんな整然と座って笑顔で「行ってらっしゃ〜い」してくれたので、それがかえってオイラを不安にさせた。

ホラー映画の惨劇の前の無理な明るさのように。

KLに着くととりあえずパートナーと軽く打ち合わせを兼ねて晩飯。オイラは「インニョンの食えるコーヒーショップ」を強く主張した。

このインニョンを食べながら、なぜKLではBKKのように和食屋が栄えないのか気づいた。ローカル飯がうま過ぎるのだ。(写真左)

歩道ではマレー人たちが街灯の下で「縁台チェス」。どうも左側のツルッパゲが「チェス神」らしい。癒されるねぇ。(写真右)

 

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ゆう [面白いです!なるほど・・・です。]

KL駐在 [香港ではインニョンと言うとティー(紅茶とコーヒーのMIX)が有名ですね。あとインニョン炒飯(2つの炒飯がMIX)ての..]

Jun [>ゆうちゃん KLでの日本人同士の飯会、飲み会の集まりはほとんどローカル飯屋だったよ。 BKKだと美味しいタイ飯屋を..]

ゆう [タイに行ったことがないのですが、KLと同じようにローカル食が美味しそうなイメージがありました。そっか〜、KLはローカ..]

Jun [>ゆうちゃん うん、もちろん好みによるけどね。ローカル飯の種類の豊富さが違うんだよね。]


2012年07月03日(Tue) 会社が倒産しても二人のかみさんは食わせねぇとな。

自分自身を「バンコクからの出張者」という位置づけにすると、20余年に亘って見慣れたKLもちょっと新鮮に感じる。

タクシーに乗ってもテンションが上がり、後部座席の真ん中から体を乗り出し、運転席と助手席のシートに両肘を乗せた格好で運転手と話しまくる珍しい自分がいる。

「ところで、お客さん、どこから来なすったね?」

「日本だよ」

「日本人かい!日本人にしてはフレンドリーだねー! 旅行かい? 仕事かい?」

「仕事だよ。KLの景気はどうだい?」

「大企業はそこそこやっていけるけどね、中小企業は散々さ。アッシも(ここはこう訳した方がしっくりくる人だった)少し前まではトレーディング会社で働いていたんだけどね、会社が倒産して今は一時的にタクシーの運転手をやってるよ」

「そうか、マレーシアも大変だな」

「お客さん、マレーシアに長く住んでたんならワイフは2人ぐらいいるんだろ(笑)?」

「わはははは、いねーよ、あんたじゃねーよ(笑)」

「いや、アッシはほんとに2人いるんでげすよ、ワイフが」

「••••••。」

「だ、だけど、確か2人目のワイフを持つときは1人目のワイフの承諾がいるんじゃなかったっけ?お伺いを立てたの?」

「いや、それが浮気がばれて修羅場になってね、当人同士が会って二人でいろいろ話したのよ、アッシ抜きで。それで『じゃあ、もう二人ともワイフに』ってことで向こうで結論出ちゃってね、アッシの知らない間に。がはははは」

「笑い話かよ」

「2人目のワイフは5年くらい日本に留学してて、日本企業で働いていたから日本語ペラペラよ。今度紹介するよ」

「いいよ」

「まあ、そういうなよ。名刺あるかい?」

「うん、あるけど」

「これはアッシの名刺だ」

「うわ、立派な名刺持ってるね」

「だろ? 今度連絡してくれよ、ワイフと一緒にカラオケ行って日本の歌、歌おうよ! ワイフ、日本の歌上手いよ。気に入ったら、もらってくれよ」

「いらねーよ!」

.

といった会話をしながら宿泊先のホテルに到着したのでした。


2012年07月04日(Wed) 53歳の誕生日にわかったこと。

誕生日おめでとう、自分。単独出張中のバースディーはイタい。

朝、いつものように朝日が上る頃にKLの街を散歩していると、かご一杯のドリアンをトラックに積み込む作業をしていて、愛想のいい兄ちゃんがポーズを取ってくれた。その脇にはこれもかご一杯のランブータンが積み出しを待っていた。

そう言えば昔、オイラに逆立った髪の毛がほんの少しあった頃、誰かがデザートのランブータンを見て

「あ、Junさんがこんなにいる。Junさーん!」

と叫んでいたな。

 

.

今日は某マレー企業でプレゼン。相手の社長(ダトの称号を持つ)にも大変興味を持ってもらい、一緒に昼飯を食いに行こうと誘われた。

まあ、これは大変いい兆候なわけですよ。いい流れなわけですよ。

「チャパティはどうですか?」

「あー、いいですね、チャパティ」

「マトンが美味いんだ、マトン。マトン好きですか?」

マトン、苦手なんだ。

きっと53年間の人生のどこかで「苦手ぇ」と思ってからこの方、食べてないんだ。

しかし、オイラもプロのビジネスマンですよ。

ここまでのいい流れを壊すわけにはいかないですよ。

「あー、好きですー。マトン!」

「おー、そうですか!好きですか!じゃ、決まりだ、マトンチャパティ行こう!」

玄関に回されたBMWに同乗して到着したのは、Jalan Raja Lautの渋滞を避けるために抜け道としてよく使っていた細道にあった「Chapati House」というチャパティ専門店。

キャンティンのようにトレイにチャパティを乗せ、グレイビーを選ぶカウンターに進む。

ああ、マトン苦手だなー、やだなー。

と思い続けていたからだろう、カウンターの店員が

「マトン? チキン?」

と聞くや、オイラは「チキン」と答えてしまった。でも、チキンがあってうれしー(笑)。

チャパティとチキングレイビィの皿を乗せたトレイを持ってダトの座るテーブルにつくと、いきなりダトが、

「これはマトンじゃないよ、チキンだよ! おーい!誰か、Mr. Yamamoriにマトンを持ってきてあげてくれ!」

「あ、なーんだ、これチキンなんだー、あは、あはは」

と見え透いた芝居をしながら涙目である。

しかし、オイラもプロのビジネスマンですよ。

ここまでのいい流れを壊すわけにはいかないですよ。

オイラは、彼らと同じように右手だけでチャパティをちぎると、そのチャパティでマトンを包むようにして口の中に放りこんだ。

肉はとても柔らかい。

そして、う、美味い。

「ダト、美味いですよ、これ。マトン美味いですよ!」

「美味いだろう? ここのマトンチャパティは最高なんだよ。ってマトン好きなんでしょ?」

「そう、そりゃもう大好きですよ」

オイラはマトンでチャパティ2枚をペロリとたいらげ、大変いい気分でダトにお礼を言った。

店の入口の辺りに一人の太った中年のインド人のおばちゃんが座っていた。

この人がこの店のオーナーだ。

ダトはオイラを「日本人でマトンが好物でこれから通うからよろしく」とわざわざ紹介し、オイラもマトンが気に入ったからまた来るからとおばちゃんの手を握って店を出た。

こんな場所にこんな人気店があったなんて。

苦手だと思っていたマトンがあんなに美味かったなんて。

22年もマレーシアにいたって、53年も生きてきたって、まだまだ何にもわかっちゃないんだよなーと天を仰ぐタコ社長だった。

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tomo [じゃあドリアンもいけるねっ!]

はらまき [今度は皆でマトンとドリアン食べましょう!tomoちゃんもね!!!!!]

とがり [ランブータンの頃のJunさんかぁ。(遠い目)]

とがり [ってゆーか、ここ時間の表示おかしくない?]

Yukiko [Jumさんのプロ魂を見た、と思ったら棚ボタだったという落ちですねw。]

ゆう [お誕生日おめでとうございます!あ〜、読みながらドキドキしました〜!でもマトンが美味しく感じられてよかったです。そのお..]

Jun [>tomo もともといけるけど? >はらまき オイラはもうハードル超えたからね、いつでもOKよ。 >とがり そん..]

tomo [はらまきさーん、Junさんがゲップが出るほどドリアン食べたいってー]

Jun [>tomo あ〜、当分KLは行かないかな〜]

malik [>苦手だと思っていたマトンがあんなに美味かったなんて。 >22年もマレーシアにいたって、53年も生きてきたって、ま..]

Jun [>malik く〜、セロリはな〜。。。]


2012年07月05日(Thu) 「タツヤ」のタクシーには夢があった。

KLで乗った4台のタクシー、運転手は誰も非常にフレンドリーで饒舌だった。

1人目は既出の2人ワイフ。

2人目の運転手からは「KL No.1のナシカンダ屋を知っているか?」と訊かれ、「知らない」と答えると「教えてやる」と目的地までの道を少し回り道して店の前まで連れて行かれた。(写真右上が店で右下がナシカンダ)

こういうことがあるから、マレーシアではアポイントメントの時間に相当余裕を持って出発しないといけない。

そのナシカンダ屋は24時間営業だというので試しにその夜サパーを食べたが翌朝腹を壊した。

3人目は数字に強いらしく、

「KLとPJだけでタクシーが70,000万台もいるんですぜ、旦那。(彼らはよく客を「Boss」と呼ぶが、訳すとこんなニュアンスだろう) 300万の人口にそんなにタクシーがあったんじゃ儲かりませんぜ!」

と説得力ある切り口でタクシー稼業のツラさを訴えた。

4人目の運転手は大柄の43歳で、自分には「タツヤ」という日本名があるんだと誇らしく語った。

「誰から命名されたんだ、その『タツヤ』ってのは?」

「アメリカで会ったコバヤシハジメという日本人ですよ」

「アメリカに行ったことがあるの?」

「向こうの大学に留学してたんですよ。そこで一緒に学んだ友人でね、いい奴だった」

「へー、それで?」

「卒業して私はマレーシアに戻ると石油関連の会社に入社して、数年でコミュニケーションマネージャーにまでなったんです」

「ほうほう、それで?」(オイラはこの運転手の経歴にどんどん引き込まれて行った)

「30そこそこで給料は8,000リンギももらってた。家もローンで購入したけど、親子3人の生活は楽でした」

「そりゃ、高給だ。3人なら楽勝だね。それでそれで?」

「それが10年ほど前に不況でリストラ。70,000リンギの一時金を渡されてバイバイですよ。」

「あらまー、それで?」

「就活をしたけど、どこも厳しくてそんな若造に8,000リンギも払うところはないですよ。いっそレストランでも開こうかと思っても70,000リンギじゃどうにもならない」

「ふん、ふん」

「職安に相談に行ったら銀行口座に20,000リンギあればタクシードライバーのライセンスが発給されるとアドバイスされてね、それじゃあいっそ自分で車を買ってタクシー業をやってみるかと。だからね、この車は会社のものじゃない、私のものなんですよ」

「へー、そうなんだ。道理できれいに手入れしてあるね」

「収入は月に3,000リンギくらい。水物なんで倍稼ぐ月もあれば、収入のほとんどない月もあったり起伏が激しいんですよ、タクシーは。まあ、それでも贅沢しなければ家族3人なんとか生きて行くには充分な金額です」

「そうだね、個人タクシーだから実入りは全部自分だしね」

「だけどね、やっぱり会社に入ってもうちょっと給料をもらいたいと思ったんですよ。家族にももう少しいい暮らしをさせてやりたいってね。それで、また就活をした」

「そう、頑張るね」

「でもね、ある会社で面接官にハッキリ言われましたよ。なんでうちの会社がタクシーの運転手を雇わなきゃならないんだってね。まあ、3,000、4,000リンギくらいなら口がないこともなかったけど、やっぱり前もらっていた給料の金額が下がるのは嫌だったんで、なかなか決まらず悩んでいたんです」

「そうなんだ」

「そうしたらね、ある日かみさんが『あんた、タクシーの運転手を続けたらいいじゃないの。運転手って言ったって、会社に属して会社の言うように走らされるんじゃなく、自分で好きなように走れるんだよ。頑張れば頑張っただけお金が入る自分自身のビジネスじゃないの。あんたは自由なんだよ。また無理して会社勤めすることなんかないさ』って言うんですよ。

それでね、私も考えたんですよ。こいつの言うことも一理あるぞ、そうだこれは私だけのビジネスなんだってね」

「それで就活をやめたんだね」

「そうです。それから10年、こうしてタクシーを運転しているんです。頑張ってお金を貯めてね、今度は別のビジネスで起業しようと思ってるんですよ」

「素晴らしいね。それにしても、なかなかできたいい奥さんだね」

「はは、ええ、いいかみさんです。私と11歳も離れてるんですよ。結婚したのは私が30で彼女が19歳だった」

「若い奥さんをもらってラッキーだったね」

「ええ、ラッキーでしたね。19歳のほんのガールでね。まだ何にも知らない娘でしたよ。うれしかったな、はは、ははは」

まだ10代だった「何も知らない」マレー人の娘が、社会の荒波に揉まれて挫折しかけた旦那を力強く支えた。

人は苦境に立っても、前向きに考えるだけでその苦境と思えた状況を希望の舞台に変えることができる。

小さなタクシーの大きな夢の物語。

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ゆう [ほんと、その通りですね。すべては考え方次第なのだろうと思います。私もまさにそんなことを考えていたこの頃です。いつも楽..]

Jun [>ゆうちゃん こちらこそJalanJalanしてくれてありがとう。うれしいです(笑)。]


2012年07月11日(Wed) まず最初に必要なタイ語単語

昨日からタイ語学校に通い始めたかみさんは、

「こんな言葉、つかわねーだろー」

とブツブツ言いながら家で復習している。

最初に習う英単語は、「I」であり「You」であり、「Come」であり、「Look」であり、要するに使用頻度の高い基本単語だった。

ところが、学校で初日に教わったタイ語単語は、

「ごま」

「できもの」

「ペンキを塗る」

「いとまを告げる」

「おばけ」

であった。

きっとタイ人には使用頻度の高い基本単語なんだろう。

そう言えば、中学時代、一番最初に習った外国人の名前は、

ヴィンセント

スタニスラス

だった。

中学卒業後の37年間、このスタニスラスって名前の人には一度も出会ったことがない。

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ゆう [スタニスラス、わたしもお会いしたことがありません(笑)。 私の時はエレンと太郎のやり取りだったような・・・?]

YUKIKO [私の教科書はマイクとメアリーだった記憶がありますが、「This is a pen」だって使用頻度は高くない例文ですよ..]

ようこ [おこさん、大変そうですね〜。体調は戻りましたか?タイ語、アローイしか知りませんw。]

emu [タイ語って可愛い響きが多いですよね。私の友達は、タイ語の翻訳してますよ♪ 私の中学の教科書は確か、ポールだったと思う..]

Jun [>ゆう 会ったことっていうか、聞いたこともないよね(笑)。 >YUKIKO マイクとメアリーとかジャックとベティと..]


2012年07月21日(Sat) KLからの荷物がやってくるよ

インフルエンザが流行っているらしく、昨日まで熱出てた。

夜になると9度5分まで上がりながら、木曜日には大事なプレゼンがあって会社を休むことができなかった。

今日は平熱に戻ったが、無理をしたせいで体のだるさが抜けない。

週末はゆっくり休めると思ったが、今日運送会社がKLからの荷物(段ボール74箱)を運び込んでくる。

かみさんは、

「あたしが全部一人でマレーシアから荷出ししたんだし、荷受け開梱も一人でやる!」

と言ってくれるが、そうもいかないしね。

それでも、どうにかこうにか、この週末でKLからBKKへの引っ越しが完全に終わり、一息つくだろう。

今晩は自炊もできないし、アソーク駅下のブラックスワンで軽く乾杯の予定。


2012年07月25日(Wed) 仕事もロックでいきやがれ!

先日スタッフの連中とプロジェクトの打ち上げパーティーをした。

なんとなくオフィスにダルい雰囲気が漂うとこうして時々テンションを上げる。

日本ではもう若い社員が「会社の飲み会」なんかには参加しないらしいが、うちのスタッフは大好きだ。

今回も「明後日打ち上げ!」というオイラの急な思いつきだったのに、

.

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「誰が一番ロックな野郎だ!」コンテストを企画していた。

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その瞬発力、チーム力、企画力、熱意をもうちょっとお仕事にも向けてくれたら...とロック野郎のポーズを採点しながら思うタコロック社長なんだ。

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ゆう [いいボスですね。チーム力ってたいせつです!!いつか必ずお仕事に返ってきますって。]

Jun [>ゆう 水風船みたいでね、当たって破裂してなかなか返ってこないんだよね。]


2012年07月28日(Sat) 人の成長が会社の成長なんだ

一昨日、昨日と2日間かけてスタッフ1人1人と面接をした。

1年の半分を過ぎたこのタイミングで、年初に立てた「目標」に対するレビューと下半期をどう過ごしていくか、をじっくりと話し合う。

もともと大して深く考えずに「1年の目標」を提出しているから、「達成度合い」などを問われてもひたすら冷や汗をかくだけである。

でも、目標を立ててそれを達成するために頑張ることが大事だとわかってもらうために、厳しく接する。

「エヘヘ」

と頭をかいても全然許さず厳しく接する。

それでも時間をかけてオイラもタイ語で冷や汗かきながら話し合うと、彼らの目も少しずつ輝きを増してくる。

社長が1人1人とじっくり話せるスタッフ数の限度は30人。

会社ってこの人数までが一番活気があって面白いんだよ。