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★ 今日は1日アポがないので久しぶりにデスクに腰を据えて提案書作りをする。
こういう資料作りのノウハウもマニュアルのようなものに落とし込んで同じレベルで共有できるようにしておかないとな、と常々思いながらなかなか手がついていない。
今から30年前に初めてマレーシアに来てマレーシアローカル、アメリカ、そして日本の広告会社との合弁会社に駐在した。
アメリカの巨大広告会社は、このマレーシアの合弁会社に広告に関する様々なマニュアルを提供していた。
クリエイティブ開発の仕方、プランニングの仕方などそれぞれ10cm以上にもなる分厚いマニュアルがたくさんあった。
マレーシアやタイの現地会社がすぐにグローバル企業に同レベルの広告プランを提案できるのもこういった優れたマニュアルがあったからだ。
マレーシア合弁会社の社長から
「Jun、日本の広告作りやプランニングのマニュアルを持ってきてくれないか?」
と言われてなんじゃそりゃ?と思った記憶がある。
日本の本社で海外支社長が一堂に会する全体会議があって、その席で
「ウチの会社にはそういうマニュアルはあるんですか?」
と訊いたんだけど、社長も担当役員もなんじゃそりゃ?という顔をしていた。
「そういうのはそれぞれ社員個人個人が自分で考えて動いて自分の流儀を見つけていくものだろう」
という役員もいた。
いにしえの時代から日本では技術やノウハウは親方から盗むものであって、教えたり教わったりするものじゃないという美学がある。
それがビジネス社会でも文化として踏襲されてきた。
ところがグローバルの競争になると全てが属人的過ぎることがわざわいし、特定の駐在員がいなくなるとサービスのレベルが保てず仕事を失うという日本企業の顛末も嫌という程見てきた。
この30年で蓄えてきたアジアビジネスのノウハウをどう伝えていくか、大事なところである。