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★ すべて順調に進行していたベルギーの旅も中日にトラブルに見舞われた。
「最も美しい24の村」のひとつ、クリュぺ村を出てニィ村に向かう途中にレンタカーのタイヤがパンク。
慣れない左ハンドル右側通行で車道に突き出た縁石に引っかかってしまったのだ。
その場でタイヤ交換を試みるも、ネジキャップが外せなくて断念。
ジャッキを変なところに当てたので中でグシャって何かが壊れてたしね。
パンクしたタイヤでゆるりゆるりと一番近いGSまでたどり着く。
GS内コンビニの店員に助けを求めると、近くにタイヤ修理工場があるからそこに頼め、と言われる。
泣きながら走っていく。
修理工場のお兄さんたちは全く英語が話せず、ケータイで撮った写真でタイヤの状況を理解してもらう。
だけど修理先約の車が2台あり、そこで約1時間待つことに。
ようやくスペアタイヤに付け替えてもらう。
しかし、これではこのままレンタカーの旅を続けることはできない。
AVISのロードアシスタントに電話をし、事情を説明すると修理工場のオヤジが1時間くらいしてやってきた。
いろいろ調べたり電話をしたりしていたが、結局
「私ではどーすることもできないので、明日の朝修理工場へ行ってくれ」
と言われる。
もう足掻くのを諦めて、今日予定の残り2つの村をスペアタイヤで走り抜くことにした。
翌朝、宿を出てから指示された修理工場へたどり着いて説明するが、そこでは誰一人英語を解さない。
お互いに身振り手振りでわかったことは
「うちにはこの車に合うリムのストックがないからどーすることもできないので、別の町の修理工場へ行ってくれ」
という話。
しかしこれはレンタカーだし保険にも入っているし、AVISの見解を聞こうと修理工場へ向かう途中にロードアシスタントの番号に電話する。
今日は朝からずーっとかけていて一度も通じなかったラインが初めて通じた。
オイラは全てを説明し、
「了解しました。これからどういう解決策があるかこちらで確認するので30分後にあなたの電話番号に電話します」
との回答を得られた。
そして、それ以降「あなたの電話」は全然鳴らない。
45分を過ぎた辺りから再びこちらから電話をするが、これが2時間以上通じない。
もうとっくにお昼を回っている。
修理工場の人たちには「ランチタイムで店をしめるので出て行ってくれ」
と追い出される。
誰も助けてくれないベルギーの片田舎。
孤独。不安。絶望。
AVISの本部に電話してみる。
担当者からは、
「それは貸し出したカウンターが対処する事案なのでカウンターに連絡してください」
と言われる。
もちろん借りたカウンターには朝から電話しているんだけど、こちらも誰も電話に出ないんだ。
誰も助けてくれないベルギーの片田舎。
孤独。不安。絶望。
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そして我々はブリュッセルの貸し出しカウンターまで戻ることを決断した。
ハイウェイを後続車に何度煽られようと、スペアタイヤでのろのろと約100kmの道をブリュッセルまで走る。
カウンターの前にたどり着いたのはもう3時過ぎ。
AVISのロードアシスタントのひどい対応を直訴したが、カウンターの二人は
「ホリデーで手一杯なんでしょう」
と、詫びる様子もなくニヤつくだけだった。
もう、金輪際二度とAVISは使わないぞ。
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パンクしたアウディA3からアウディQ2に乗り換えて、我々は再びブリュッセルを出るとフランスとの国境近くブイヨンの町へとハイウェイをかっ飛ばした。
時間はすでに午後4時。
ベルギーの日の入りは午後8時。
まだ回れる。今日のロスを取り返すぜ。
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そんな折に、カミさんが
「あ、ダウンジャケットを前の宿に忘れてきた!」
爺いと婆あの旅はもう大変なのよ。
あー、、日本以外の国ってそんなんですよね。村上春樹さんの紀行文にも似たような災難が書いてありましたよ。いろいろ諦めつつ、粘り強く交渉し続けるしかないですよ。私も昔の災難を思い出した。でもその分強くなった。
>もとママ<br>そんな災難があったのかw まあ、トラブルがあるとまた記憶に刻まれて旅の彩になるからね、あとで振り返ると。
大変ご無沙汰しております。<br>いや〜、災難でしたね。私も昨年アムステルダムに行きましたが、いろいろと戸惑うことばかりでした。
>ちゅるる<br>あら、久しぶりw お隣だね、オランダ。ブリュッセル以外はほとんど英語が通じないし、田舎の宿では宿の主人夫婦に「一つ聞きたいんだけど、どうしてここに来ようと思ったの?」って聞かれるくらい初日本人だったから向こうも戸惑ってたようだけどw