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★ 冒険小説やミステリーのようにストーリーやリズムを楽しむ本と違って、文学作品は読むのに時間がかかる。
言葉の選択や文章のひとつひとつに渾身の力を込めて書いているから、それをまたひとつひとつ受け止め楽しんでいると、ある文章の前でしばらく佇んでしまったりするからだ。
前者がウォーキングだとすると、後者はウィンドウショッピングみたいな感じ。
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「大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。熱海湾に面した沿道は白昼の激しい陽射しの名残りを夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。」(又吉の「火花」より)
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これは小説の冒頭だが、たぶん又吉もこれは時間をかけて何度も書き直したんだろうと思われて、何度も何度も読み返してしまう。
「白昼の激しい」という形容詞には「日差し」じゃなくて「陽射し」だろうな、とか。
「名残りを夜気で溶かし」は美しいな、とか。
「沿道は・・・・踏ませながら賑わっている」
すごい。こんな表現見たことない、とか。
作者と会話をしているこのひと時がスリリングなのだ。
印税の金額を読むもいいんだけど、こういうところを読むのも面白いよ。
昔々、「赤頭巾ちゃん、気を付けて。」を読んだ時と似たような印象を持つのですよ。火花には。芥川賞というものを大袈裟に捉えすぎているのでしょうかね。私は。
>もとママ<br>そうなんだ。ゆっくり過ぎてまだ読了してないんだよ(笑)。でも読んだ友達に聞くと、「芥川賞ではない」と断言していた。