特集!ヒンドゥー教の奇祭「タイプーサム」

1998年2月9日未明、山車は6万人のヒンドゥー教信者を引き連れ、チャイナタウンにあるスリ・マハ・マリアマン寺院からバツーケーブに向け出発した。2日余りに亘って繰り広げられる奇祭、タイプーサムの幕開けである。山車はバツーケーブまでの道のり17kmを9時間掛けて練り歩き、約80万人の来訪者が見込まれる聖地で大団円を迎えるのである。
 これは行かねばなるまいと思ったJalanJalanは、9日夕刻、KL市内のインド料理屋で腹ごしらえをした後、深夜1時まで仮眠を取り、期待と不安に胸を波立たせながら一路バツーケーブへと向かったのである。

「タイプーサム」とは一体どういうお祭りなのかっ?
「タイ」の月の満月の日に行われるヒンドゥー教の主神シバ神の息子「ムルガ神」を崇める南インド発祥の祭り。神話では、ムルガ神にシバ神がさせた知恵比べで、ビィガナ神に破れたムルガ神はバラニの丘にこもってしまう。それを見てシバ神はムルガ神を不憫に思い、ヒンドゥー教徒に「タイ」の月の満月の夜にムルガ神に祈りを捧げることを命じたのがこの祭りの由来だそうだ。この日、ムルガの像が寺院まで行進する。ペナンでは、ジョージ・タウンのスリマリアマン寺院からの道々で椰子実が割られ行進の道が清められる。神々の願いが叶った信者達は、事前に何日かの断食をし、カバディーと呼ばれる一人用の飾り御輿を担ぎ、長大な鉄串を頬に通し、寺院まで苦行の行列を行う。 こういった激しさゆえに、インド本国ではタイプーサムは禁止されていて、マレーシア以外の国でこの祭りが見れるのはシンガポールだけだ。


夜2時近く、ジャラン・クチンの料金所を抜け、イポー、ペナンへ向かうハイウェイをしばらく走ると右手にバツーケーブが見えてくる。普段ならここからバツーケーブへ向けて入っていける小道があるのだが、この日は車両通行止め。ハイウェイの両側には臨時バス、観光バス、自家用車が延々と縦列駐車され、異様な光景だ。この辺りからケーブ内までは歩いて15分ほどかかるが仕方がない。ケーブまでのホコテンは道の両脇に夜店が軒を連ね、大夜祭り状態。夜店の数は全部で690店というからものすごい。食べ物、飲み物、雑貨、お祈り用品などありとあらゆる種類の夜店がある中でやたら多くて目に付いたのが簡易床屋さんだ。左の写真がそうだが、お客さんはどこも満杯、順番待ち。こんな夜中にどういうことなんだろう、と近づいてみると、これが全員カミソリによる剃髪。だから座って5分もするとあっという間に一丁上がりぃになってしまう。あ〜あ、そんなフサフサとした髪の毛をもったいない、と私の場合人一倍心配になってしまう。
しかし、これにはワケがある。ヒンドゥー教信者は、その祈願を成就させるために剃髪し、清めてからお参りし、その信仰の深さを表わすのだ。と、一応は納得しても右のような赤ん坊まで坊主になると、あ〜あ、君なんかまだ若いのにぃ、といらぬ心配をしてしまう。本当に皆さん思い切りがいいようで。それでも少年達のグループは、友達が刈られるのを見ながらみんなで大笑いしている。「おい、次お前やれよ」「いやだよぉ」等という戯れ合いをして喜んでいる。

 簡単にツルリンコにすると、今度はその頭に何やら黄色い染料の様なものを手のひらでペタペタとなで付けていく。床屋のおやじに「それはなんだ」と訊ねてみるとサンダラムと教えてくれた。これは、聖なる色黄色の化粧であり、頭を涼やかに保つ薬だということだ。お前もやって見ろと言われたが、丁重にお断り申し上げた。

 こんな夜店をぼちぼちとヒヤカシながら歩いていくと、次第に人が多くなってきた。だんだんケーブに近づいてきたのだ。インドのお香の匂いも一段と濃くなっていく。更に進むともう自分のペースでは歩けなくなり、群衆の流れに身を任せるしかないという状態になっていく。左手の空き地には移動遊園地が開設され、深夜に子供達を乗せた観覧車はひたすら回り続ける。ものすごい喧騒と活気にたじろぐ。ビートのきいた太鼓の音があちらこちらから聞こえてくる。なんか、体が自然にノッてくる。仲間、家族同士はこの揺れ動く群衆の中ではぐれないように、前の人の肩や腰につかまって移動する。右の写真がそうだが、最初この「電車ごっこ」もヒンドゥーの習わしかと思ったほどだ。

もうケーブのゲートが見えてきた。太鼓の乱打は更に高まり、人々の体の揺れが辺りを揺るがし、目の色が緊張を帯びてくる。太鼓に合わせた掛け声に、叫び声が混ざり、一種異様な空間が作られていくようだ。

私もにわかに体を緊張させ、相変らず群衆の流れに身を任せながら一歩一歩ケーブ内に向かって前進する。その時である。右後方から大きな叫び声が聞こえ、私は反射的に振り返った。私は一瞬、恐ろしさのあまり、大きく一歩後ろへ身を引いてしまった。そこには体中を紅く塗り、トランス状態の目をカッと見開いて一心に歩いてくる男がいた。その背中からは十数本の縄が伸び、その端を握り締めて制御している奴がいる。口からはヨダレがだらだらと流れ落ち、前と後ろから方向を制御しないとどうなってしまうかわからないのだ。背中の縄は太く大きなフックに繋がれ、その先が背中に食い込んでいる。彼が縄を引っ張って進もうとするものだから、背中の皮膚は山のような形に引き攣れている。本来ならこの縄は重い神輿に繋がれ、それを引く苦行の信者の列となるのだろうが、正気を失った彼の縄は他の信者が引きずられるように握り締めていたのである。私はその様相の異様さに言葉を失ってしまった。はっきり言って少し恐ろしかった。

その後次々に現れた苦行の行列を写真で紹介してみよう。

前から制御しないと
歩き続けてしまう信者。
体中にライムを
ホックでぶら下げ、
舌を出し、
完全にイッて
しまっている。
背中にも
盛大にライム。


一人用飾り神輿
カバディ。
トランス状態なので
この重量を支
えて踊り捲る。
カバディは屈強な男が
ほとんど。トランス状態。
ライムと鉄串。 背中の皮膚が
盛り上がるほど
前に引っ張る。


極太の鉄串が
頬を貫通している。
介添人がいないと
周囲も危ない。
辺りを威嚇するように
咆哮を繰り返しながら歩く。
サトウキビで担がれた布の中には
生まれ立ての赤ちゃん。


背中にホックが
食い込む。
この先に重い神輿が
繋がれる。
後から後から神輿の
行列はやって来る。
信者の苦行は老若男女、
子供にまで及ぶ。




の苦行の行列、信者達はどこから沸き起こってくるのだろうか。ここでこの行列ができるまでのプロセスを紹介しよう。バツーケーブの手前に小さな川が流れている。とてもきれいとは言えない泥の川だ。深夜なので右の写真ではわからないが、暗い部分がその川だ。行列に参加する信者達はまずこの川でお清めを行う。

川で体を清めたら、川原でお祈りを捧げる。介添人はライムを包丁で4つに切り、一片を祈る信者に振りかけ、残りの3片を左右、後方に投げ捨てる。信者は深く深く祈り、次第にトランス状態に陥っていく。写真左の彼女もだんだん体が揺れ動いてくる。辺りには大勢の太鼓奏者が信者を極限のハイ状態にさせるかのようにビートを刻み続ける。立ちこめるお香の煙。見ているほうも気持ちがどんどんハイになる程すごい。これは一種の催眠術でもあるから見ている人がいきなりトランス状態に落ちることもよくあるのだ。

信者がトランス状態に入ったら、鉄串、ホックなどが体中に刺され始める。信者の目はもうイッているのでこれを感じているのかどうかわからない。右の写真では複数で信者の背中にプラムをぶら下げている。信者は時々、目をカッと見開いて大声で吠えたりする。辺り一面には神殿に供えるミルクの空箱、清めのココナッツの殻などが散乱し、時間と共にゴミの山となっていく。

準備の整った信者は、更に深くトランス状態に入り、体をゆらしたり、じっと虚空を見ていたりする。この間、回りの介添人達は、この信者があらぬ方向へ走り出したりしないように、体を張って周りにバリケードを作る。こうしてこのグループは一人ずつトランス状態に入っていき、介添人の数は減っていく。今まで身の回りの世話や準備をしていた信者が、「入っていってしまう」ところがすごいのだ。

苦行の信者達の準備が出来上がると太鼓隊のテンションも最高潮に達する。素晴らしいビートに周りの見物人達の体も自然に動いてしまうほどだ。そして全ての準備が整うと、リーダーの掛け声の下、群衆のひしめくケーブへ向かう通りへとでていくのだ。この時、介添人達は、信者達をなだめながら、制御しながら、周囲の見物人との接触がないように最大限の気を配りながら歩いていくのだ。

通りに出るとカバディを担いだ信者達は、その精神状態を更に高めるため、常に体を動かし、リズムに合わせて踊る。こうやってケーブ内の寺院へ向かう苦行の行列は次から次へと繰り出されていくのである。祈りを捧げ終え、苦行を終えた信者達は、バツーケーブ273階段を降りるときに全てから開放され、正気に戻る。体に多少傷跡が見えるが、流血しているようなことはない。誰も彼もさっきの目つきが嘘のように無邪気な笑顔で他の信者達と冗談を言い合いながら帰っていく。
 明け方に家路についた私も昨日の深夜の出来事が、にわかに現実のものとして飲み込めず、夕方に再びバツーケーブへ向かってしまった。深夜と違い、ギラギラの太陽が体を焦がす。しかし、そこでは12時間以上経過したその時も、全く同じ光景が繰り広げられていた。
タイプーサム、自分の目で見て欲しい。そして夢でないことを確かめて欲しい。



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