タイトル | : Re: Jalan Silangの昔 | |
投稿日 | : 2007/11/20(Tue) 18:46 | |
投稿者 | : | |
ホスト名:60.50.245.172 |
1920-30年にJalan Silangの両側の商店街を、昔のラウンドアバウト側から撮った写真では、右手手前(Jalan Pudu側)に宮崎兄弟写真館、左手奥(KotaRaya側)に歯科医とクリーニング屋の看板が写っていました。牙科でないので日本人経営、クリーニング屋を日本人経営と思ったのは理由を覚えていません。写真では結構繁盛している繁華街だったようです。何しろ看板には漢字が溢れていました。どこかの店で大きな木箱を開梱していたのを不思議に覚えています。輸入商だったのでしょう。父は1933年当地で病死、二人の弟があとを継ぎ、第二次大戦開戦で写真館は英軍が没収、略奪された挙句、二人ほ家族共々インドの収容所に送られました。
星州日報と南洋商報でJalan Silangの漢字名を探してみましたが、探し方が悪いのか期待した答えは入手出来ませんでした。
色々と、本当に有難う御座いました。これでおしまいにさせて頂きます。